外見の完成度に関する「80%の法則」

女友達が、街を歩いていたら、元彼に偶然出くわしてしまったという。
その元彼とはよい別れ方をしなかったので、もう会いたくないと思っていたそうで災難であったが、
それより何より彼女的に問題だったのは、そのとき彼女は自分のファッションに関して完全に気を抜いていたということだ。
これは悲劇である。


女子にとっての「外見の完成度」は、肌の調子やファッション、メイクに関する「他人の評価」ではなく、「自分の納得度」で計られると言ってよい。
たとえディティールであっても、「マスカラだけのまつげ」と「ビューラー+マスカラのまつげ」は自分にとってはぜんぜん違う。
他人にはどうでもよいことであっても、自分にとっては大問題で、その問題がどのように影響するかというと、自信に作用するのである。
人間中身が大事だなんてわかっているけど、女子は外見の重要性も十分わかっているから、「外見の完成度」はトータルな自信にたいして多大なる影響力を持つ。


というわけで、前述の彼女は、今まで一度も着ていないからという理由で選んだ変な色のカットソーの言い訳ももはやできず、元彼の脳裏を想像するだにいまだに後悔で苦しむという。
「外見の完成度が低いときに会いたくない人」
って誰にでもいるはず。
でも「会いたくないときに遇っちゃった」という話はけっこうよく聞く。


この問題への対策としては、
「女子たるもの、いつも気を抜かずにがんばらなければいけない!」
ということだろうけれど、「外見の完成度」を常に100%にすることは現実的に難しい。
私の知人いわく、
「いつも100%の自分の状態でいるのはムリだから、私は常に80%の状態のキープを心がけてる。
100%にしなきゃならないと思うと気疲れしちゃうし、時間的にムリなこともあるけど、80%なら急に想定外の誰かに遭ったり、誘われたりしたときにも、自分の納得できる状態で対応できるし、気楽に実践できる」
100%じゃなくてよい、という条件は精神的に楽である。20%の妥協も、自分的に許せる数字だ。
というわけで、彼女にならって、私も以後「80%の法則」を意識している。


もちろん、一日中ひとりきりで家で過ごすぞと心に決めた休日などは、その80%もさらに妥協されるのだけれど、それでも最低50%を下回りたくはないと思う。
なぜなら、女失格状態の自分を鏡で見たときには、かなり落ち込む。
誰の目がなくても自分の目はある。ここをなおざりにすると、結局後悔することになるのである。