ニューヨーカーに見える条件

こちらに来て2週間程度であるが、これまですでに道を尋ねられることが何度かあった。日本国内で、自分が「道を尋ねやすいタイプ」であることは自覚していたが、このNYCで、日本人からのみならず、そのほかの国の人からも道を尋ねられるということは、少なくともニューヨーカーに見えたということであろう。私に道を尋ねた人が残念な思いをしたであろうことはあらためて言うまでもない。


そして、今日にいたっては、一人でランチを食べていたときに、地元の女性誌の編集者と名乗る二人の女性から、ちょっとしたインタビューを申し込まれた。即座に「No no, I can't speak English well, sorry.」と応えると、「Oh, excuse me. Have a nice day.」と彼女たちは去っていった。


滞在間もない私がなぜニューヨーカーに見えたのか、そのときの状況を振り返って考えてみた。


まず、私は地図を手に持っていなかった。
観光客である場合、地図を手に持っていることが多いと思う。私は、実は毎日観光しているのであるが、そのスタイルは、たとえば、英会話学校から家へ帰る途中にある場所に1、2箇所だけ立ち寄るとか、帰り道を少しずつ変えながらGrand Tarminal駅やUnion Square駅などの大きなターミナル駅まで街歩きをしつつショッピングをするとか、地図は当然バッグに入っているが、目的地が少なかったり、なかったりするので、いくつかの目印だけ頭に入れればあとは地図がなくてもたどり着けることが多い。そもそも、NYCは東京よりもずーっと道がわかりやすいと思う(方向音痴の私でさえすでに多少の土地勘がある)。


次に、私は一人だった。
この場合に限らず、私はいつも一人なのである。恋人は毎日朝から夜遅くまで、忙しければ週末も仕事だし、今のところ友達もいない。したがって、食事も、観光も、ショッピングも、いつも一人。観光の場合は二人以上で行動することの方が多いと思うし、一人旅の場合はバックパックを背負っていたり、観光客の象徴である地図を持っている。


そして、私は堂々としていた。
というより、今は「常に気持ちを強くもつこと」を心がけている。この街で暮らし、街歩きをすることも楽しんではいるが、やはり言葉が不自由で、超多忙な恋人以外に友達も知り合いさえもいないということは、自分の感情も考えもきちんと理解されず、不可抗力な失敗も困難も多いのに誰もフォローしてくれないし、助けてもくれないということだ。これはけっこう心細い。自分のふがいなさに落ち込んだり、かなしい思いをすることがたくさんある。でも、さしあたり一人で何とか頑張るしかないのだ。すべてのことを前向きに楽しむことを意識するために、「常に気持ちを強くもつこと」を心がけていると、行動が堂々としてくる。すると自然、英語も話せないNYCビギナーである私でも、その態度はとても普通に見えるのだと思う。
今日声をかけられたときは、なんとなく周囲を眺めながら、ブラウニーを食べていた。道を尋ねられたときはたいてい、大またで歩いていた。


というわけで、ニューヨーカーに見える条件とは、
「地図を持たずに一人で堂々としていること」
ということになる。


加えて、
スタバのコーヒーのプラカップを持って、
あるいは何か食べながら(お行儀悪いよねー、でも多いの)、
夏はサングラスをかけていれば、
間違いないと思う(笑)!


ニューヨーカーに見えたからといってどうというわけではないが、
実際にニューヨーカーには、男も女もかっこいい人が多いと感じているので、私はニューヨーカーに間違われることがちょっと嬉しい。
それに、いろいろ問題はあれど、やっぱりおしゃれで面白くて刺激的ですごい街だと思うから、その街の中を、顔をあげて、一歩一歩を大きく踏み出して歩くと、勇気が沸いてきて、気持ちがいいと思うのである。